【34歳で初めての海外留学】終了前夜に感じたことを、とりとめもなく書いてみる

長い長い冬が明け、新緑の鮮やかさや躍動感で喜びを表現する北欧の花々たち。
まるで、僕の心を表すかのように。

清々しい空気、空の青さ、風や動物の音。
この短い夏の全てを堪能するべく、僕は今、大きく深呼吸した。

こんなにゆっくりと、自分の成長を感じながら時を過ごすのは、何年振りなのだろうか。

生徒一人一人の主体性を尊重し、皆で考えて行動する
何かにチャレンジしたいと声を上げると、たくさんの先生、生徒が応援し、サポートする。

何かの問題に気づけば、生徒からの意見を学校側に提案し、校長先生自ら耳を傾ける。

そのさまは僕にとって、素晴らしい

 

白紙の教科書

 

とも思えた。

そんな留学生活も明日、終わりを迎える。

応援してくれた仲間や、暖かく迎えてくれたクラスメートに、心から感謝したい。

そんな感謝も持ちつつ、今の気持ちを書いてみる。

 

 

自分へのもどかしさを感じた1月

 

 

大きな期待と少しの不安で迎えた留学生活。
言語や文化、年齢などもあり、苦戦した日々

今思えば、

コミュニティを0から構築するのも、かなり久しぶりのことだった

友達
この学校は英語が出来ることが前提だが、全員がそうではない。
だから安心して

 

その言葉と、自分のコミュニケーション能力を信じてここにきた。
だが蓋を開けてみると、

英語ができない。のレベルが違う!

そりゃそうだ。
僕が、英語を勉強した?と言っても良さそうなのは15年以上(高校生)前の話だ。
そしてその時も決して、成績が良かったわけではない。
だから完全に、文法も語彙力も、何も足りてなかった。

グループでたわいもない話をすることも、わからないと言う恐怖と隣り合わせ

34歳で留学とはいえ、まさか自分が120人中2番目に年長だということ。
生徒の大半が、18〜22歳の環境に、自分が置かれるとは想像していなかった。

 

北欧の冬は、特に長い。
そして、日照時間が兎に角短い。

 

僕がデンマークに来た12月は、日の出8:30、日の入り16:30だった。
しかも、天気は曇りばっかりだったので、日光を浴びてると思える時間は本当に短かった。

そこに、コロナが追い打ちをかけた。
生徒全員と、先生のほとんどが同じ寮で生活するため、感染の広まりも早かった。

僕は感染しなかったが、濃厚接触者となり、1週間以上の隔離生活。

その後もマスクを着けての、もどかしい生活が続いた。

 

 

現状を整理した2月

 

2月に入りデンマークでは、コロナの対策が終了。
マスク着用が、義務ではなくなった。

今も忘れない。
2月1日にスーパーに買い物に行くと、マスクをしてるのは僕と、学校の生徒だけだった。

そもそもマスク文化が無いヨーロッパで、義務ではなくなるということは、誰もしないのと同じ。
それでも昨日(1月31日)までは、みんなしていた。

それはある意味

デンマーク政府への信頼にも感じ取れた

その変化と共に、僕は状況を整理する時間を作れるようになった。

そして、この留学の目的(成功)を細かく分けた。
なんと、8段階に。

1段目は
最後まで、この学校にいること
そのぐらい、力を抜いてみることにした。

ちなみに8段目は
多様性を受け入れる

と、幅広い。
後でかく7段目は
英語でプレゼンをする

だった。

1段1段、ゆっくリ登ってみることにした。

8段目まで行かなくても、1段目で終わってもいい。

そう、自分の心に語りかけた。

そしてこのころ、僕にとって大切な、2種類の友達が出来た。

1つ目は飲み友達

ブラジルと韓国出身の2人は、20代後半で、気があった。

そしてなにより、お酒が好き
英語にコンプレックスを抱えていた僕が、この2人と一緒だと、気軽に話せるようになった。

するとある日、ベストフレンドと呼んでくれるようになった。
そんな呼び方をされるのは久しぶり過ぎて、背中全体が痒くなるぐらい、恥ずかしかった。

でも、心から嬉しかった

こんなにも、言語でのコミュニケーションをスムーズ取れない僕を、そう呼んでくれるなんて。。。。
そう思った。

 

 

もう1つは、日本人の生徒

留学経験者が、よく口を揃えて言うこと。

友達
日本人(日本語で話すこと)とは程よい距離で

 

その言葉通り、

最初は距離を空けようとした

でも、情報に追いついていけない僕に

それは無茶だった

そんな僕を、ひと回り歳下のクラスメイトが、支えてくれた。

出来ないことは出来ない。
わからないことはわからない。
不安なことは不安。

日本の僕では、自然と避ける行動を、さらけ出した。

いや。

さらけ出すしかなかった

この時期に書いた記事はこちら

 

アイデンティティを考えた3月

 

 

3月上旬、日本を含め、アジアの文化紹介をした。

先生が介入することは特になく。
生徒で、どんな文化を伝えるか話し合った。

定番の

習字や浴衣の着付け、ソーラン節

おまけに、

オタクとアイドル文化を紹介するパフォーマンス

をした。

好奇心旺盛な生徒が、嬉しそうに過ごしてくれた。

この時心から、

興味をそそる文化を持つ『日本』に感謝をした。

時々、日本語で話しかけてくれる生徒も多かった。
聞くと、アニメをよく見てるそうだ。

普段の授業では、いろんな国や地域の課題を取り上げることが多かったので、日本の課題や問題に目を向けることが多かった

だから

ポジティブとネガティブの両面に目を向け、いろんな地域から集まった生徒の、いろんな角度から物事を見ること、感じることが出来た

これは、約30の国と地域から生徒が集まっている、この学校ならだと思う。

もちろん、それを感じることができたのは、友達がサポートしてくれたからだ。

少しずつ、この学校の面白さに気づき始めたのだが。
最大の面白さは、その先にある

そしてこの頃、少しだけ観光がしやすくなったので、週末にデンマークを出る機会があった。

最初に行った国はチェコで、自分の心からが解放される感じがした

やっぱり、旅は良い。

 

 

心の雪解けを感じた4月

 

デンマークは寒いが、雪はめったに降らない。
降ったとしても、積もることはあまりない。
だが寒さは続き、春は感じるには遠かった。

それでも、心にある雪が、溶けていく感じがした

この頃、20人ほどの生徒が入れ替わった

僕は約半年のコースだが、一部3ヶ月間の生徒がいたからだ。

なぜか急に、ワクワクした。
これは、他の生徒も同じことを言っていいた。

まるで、空気の入れ替えをされたように

授業も全て、新しくなり。
新しい生徒はもちろん、それまでの2ヶ月間で話したことなかった生徒とも、話す機会があった。

そうすると、自然と自分のキャラを出せるようになってきた。
振り返ってみると、英語へのコンプレックスを、少し気にしなくなった。

純粋に相手のことを知りたいと思う、好奇心があらわになってきた。

そして、子どもの頃嫌いだった

ピアノを弾くようになった

始めた理由は、ピアノが弾ける人に憧れていたから
友達に、教えてほしいと伝えると、快く引き受けてくれた。

1日に1.2時間、平気で弾き続けた。

学校の友達
また、よしが同じ曲弾いてるよ〜

と言われても弾いた。

人目を気にせず、なにかに夢中になれるのは、久しぶりのこと。

 

 

自分を取り戻し始めた5月

 

 

チャレンジする姿勢を見てもらい、それが誰かのチャレンジに繋がる。
それが1番の、生きがいとやりがいを感じる瞬間。
それがもし、成功しなかったとしても。

5月、2つのことにチャレンジした。

1つ目は

人生初のフルマラソン

美しさで有名なコペンハーゲンの街を、42.195km駆け抜けた。

この挑戦を、沢山の生徒が応援してくれた。
マラソンコースを移動し、何回も声をかけてくれた。

1番しんどくなった37km地点で、あまり話したことない生徒が並走してくれた

リアルタイムでは見れなかったが、メッセージを沢山の人がくれた。

 

 

 

2つ目は

これは2月に立てた目標の、7段目でもある。

人前に出て、英語でプレゼンすること

いろんな形で話してみた。
お笑いをすることもあれば、日本の花見文化やおすすめのグルメを紹介したりした。

最後に、自分の仕事についても話し

なぜ、旅を続けるのか。

旅がなぜ、平和に繋ると思ってるのか。

語りかけてみた。

もちろん、すべてのプレゼンで緊張した
数ヶ月前に僕は、英語にコンプレックスを抱え、デンマークに来たのだから。

英語ネイティブや、そうでなくても流暢に話せる生徒ばかりだ

でも、やってみてわかった。

普段のコミュニケーションや、プレゼンをする際、言語力が全てではない

間合いや表情、共感、ジェスチャーなど。
むしろ、それ以外の事のほうが大きい。
ということに。

この2つのチャレンジは、気づけばあらゆる形で、いろんな生徒から勇気をもらったと言ってもらった。

やっぱり、誰かのチャレンジに繋がる言動は続けたいと思った。

 

この時期に書いた記事はこちら

フォルケホイスコーレの真髄に触れた6月

 

 

僕は正直、デンマークに来て、物足りなさを感じたことがあった

授業の基本はディスカッションや、生徒が自分で調べて発表すること中心だ

だからよく、情報が不確実だった。
もちろん先生がフォローアップするのだが、

もっと先生が教えること中心のほうが、多くのことを学べると思った

そんなある日、学校で数件の問題が起きた。
それは

暴力とハラスメント

結果的に、問題を起こした生徒は帰国することになったのだか。

学校の対応に不満を抱えた生徒が数人いた。
それに対し、校長先生自ら、全員の前で説明した。

そして説明の前に、こう問いかけた。

民主主義に大切なことは、なにか?

いろんな生徒がいろんな意見をだした、

教育、平等性、選挙など

校長先生は、その全てに耳を傾けていた

その後この問題に対して、意見や提案をする生徒が増えた。

生徒の1人に、ハラスメントのワークショップをできる人がいた。
何がハラスメントで、どのように対応すれば、お互いに快適な空間を作れるのか。

 

これにもまた、校長先生自ら参加していた

機会があったので、なぜ参加したのか聞いてみた

答えはこうだ

私は答えを持っていないし、持っていたとしても、答えは常に変わる。
だから、日々自分から情報を取りに行き、考え続けなければならない。

100年続く学校の校長がだ

本当に尊敬した。

こうした姿勢を見せることが、生徒に主体性をもたらすのだと思う。

 

僕が留学した学校では、教科書を使うことはなかったが。

デンマークの教科書を見る機会があった

そこで驚いたのは、社会科教科書の冒頭に。

メディアリテラシーと、民主主義の脆さ(時に暴走や間違った方向に行く)

について書かれている。

そしてそれを、何度も繰り返して伝える
だから、危機感と、考える習慣が植え付けられるんだと感じる。

人も社会も変わり続けるため、今の正解が数年後の正解とは限らない。

だから

会話して、いろんな意見を取り入れる事が必要。

そして考え続けることが大事なのだと。

だから学校の授業は、教えるのではなく、考える習慣作りのきっかけを与えているのだ。

 

 

今、思うこと

 

フォルケホイスコーレが出来た最大の目的は、民主主義の普及にある。
そのことが最後にやっと、腑に落ちた。

これは民主主義に限らず、普段の職場、家族、自分自身にも同様のことが言えると思う

だからこれからも、物事を決めつけず、会話を大事にしていこう。

そして

沢山の仲間と一緒に、これからの未来を築いていきたい。

Never too late

人生は何事も、遅くはない。
思ったら素直に始めてみる。
上手くなくて良い、続けること。

そう心から思った。

34歳で初めての海外留学は、楽しいだけではなかったし、自分が積み上げてきた経験、余計なプライドとも向き合うことになった。

このようなチャンスをくれた職場、応援してくれた仲間に、心から感謝してます。

そして

2月に立てた目標8段は、まだ未到達である。
特に、

を受け入れる

という点。

これは一生、到達することができないのかもしれない。

なぜなら、変わり続けるから。

まるで

 

白紙の教科書

 

のように

2022年6月21日 戸田良明

僕が通った学校に関してはこちら