はじめに
2023年4月、ピースボートの世界一周の船旅が再開した。
その日を迎えた事は僕にとって、遠く険しい道のりであったことは間違いない。
だがしかし、自分の中では得たこともたくさんあった、大切な期間だったとも思う。
もしかすると、思うようにしているのだけなのかもしれない。
それは
自分の力無さを感じ、たくさんの方に心配や迷惑をかけつつも、応援のメッセージをいただいたからであることを、忘れられないからだ。
僕は2023年の8月出航のクルーズに、クルーズディレクターとして乗船することが決まっており、今の気持ちを持ちつつ、そのご恩を還元出来るように、振り返りをしてみたいと思う。
旅が平和を作り、平和が旅を可能にする
僕がピースボートに関わり出したのは2013年4月。
この時既にピースボートは、年間に3回の世界一周が定着しており、このペースが変わることは一度もなかった。
ピースボートの船旅はジャパングレイスという旅行会社と共に行っている。
僕は旅行会社の理念が大好きで、それは
旅が平和を作り、平和が旅を可能にする
という言葉。
意味はそのままで。
旅をすることが平和に繋がるし、平和でなければ旅は出来ない
ということ。
シンプルだが、世界を舞台に仕事をしている一人の人間としては、とても深く重たく、胸に刻んでいる。
SNS等で繋がり続ける事が出来る現在。
もし、友達がいる国と自分が住む国の関係が悪くなったり、考えたくもないが戦争になりそうであればどうだろう?
きっと、友達の事を思い浮かべるであろう。
『あの人は、元気(大丈夫)なのだろうか・・・』とそこまでで無くても、友達の住む国がおかしな法律や憲法で、人権を侵すような事があったとしたら。
今はSNSでムーブメントを起こす事が可能な時代。
情報の拡散や署名したりすることも出来て、行動を起こすことが出来る。
僕は、そういう参加者をたくさん見てきた。
海外だけではなく、自分が住む国の友達も同じ。
世代や住む地域が離れていたとしても、少しでも考え、平和に繋がる行動を取ると期待している。
そして、
2013年に参加者で乗船した時から、訪問する港が変わることがあった。
理由は様々で、革命やテロが起きて情勢が不安定になったり、とある国の法律が変わり、訪問できなくなったりしたこともある。
旅が出来る状況(平和)で無ければ、そもそも旅が出来ないのである。
世界一周するのだから、世界中が・・・・
そんな表裏一体の奇跡の中、ピースボートの船旅は続いていた。
ただ一度も、世界一周自体が中止になったことはなかった。
2020年3月までは。。。
初めて、世界一周が当たり前ではなくなった瞬間
ピースボートは僕が関わるもっと前から、年間3回の世界一周を続けて来た。
だから、あの日を迎えた事は、今も忘れない
2020年の世界一周を中止にしたのだ
理由はもちろん、新型コロナウイルス。
これほどまでに、世界が足を止めたことがあったのだろうか。
旅をすることはもちろん、私たちが続けてきた交流の草の根活動が、出来なくなってしまった。
大国同士の対立や、国内の分断は加速したようにも感じるし。
ロシアのウクライナ侵攻がコロナ禍で始まったのは事実である。
船旅で運営を行っているピースボートが、厳しい状況になったのは、皆さんも周知の事実で、僕は必死で毎日を過ごした。
というか、頭を下げることしか出来なかった。
いろんな人に電話をかけ、ある時は募金や寄付をお願いした。
電話する相手もきっと、コロナ禍で状況が変わったり、毎日が不安だったりしたと思う。
もちろん、厳しいお言葉も頂戴したし、電話越しに涙を流したこともあった。
でも、明日ピースボートが無くなるのかもしれない。
そう覚悟しながら、出来る事を続けた。
過去乗船者の方が立ち上げたクラウドファンディングは、多くの方のご協力のもと、想像以上の支援をいただきました。
本当に、ありがとうございました!!!
そんな中、自分の無力さを感じる事が多々あった。
ジャンルは様々で、経済の事を勉強することから、国際的な感覚を身に着けるまで多岐にわたる。
いつか来る、世界一周に備えて
2017年から、クルーズディレクターというポジションで世界一周に関わる事になり。
その中で、自分の経験や、スキルの足りなさを感じる事も多々。。。
でも一つずつ、出来ないながらも続けてみた。
ただ、世界20の国と地域から集まるスタッフの考えを理解していく事は難しく感じていた。
そしてそれは
言語をはじめとするコミュニケーションを気軽に取れなかったり
日本に生まれ育ち、海外の文化をベースに生活をしたことのなかったため、自分に原因がある事は自覚していた。
つまり
自分への限界を感じる事があった
そんな中、ふと思った。
と。
そんな中、デンマークへの留学を決めた。
34歳という年齢もそうだし、踏ん張り続けている仲間や、応援してくれる人たちに後ろめたさを感じなかった訳ではない。
でも、今の自分より成長した方が、いろんな意味でのお役に立てるんじゃないだろうか?
いや、10倍にするつもりで行く。
そう誓って旅立つ事を決意。
その時世界はまだ、コロナ禍である
デンマーク留学に行く事をSNSで公表した時、予想もしなかったコメントで溢れた。
コロナ禍で決断した勇気に対しての賞賛。
それは34歳という年齢は、まだまだ人生の序盤であるということや、今のポジションを一度置いてチャレンジすること。
そして、僕のチャレンジが、誰かのチャレンジに繋がる。
そう感じるコメントに、逆に勇気をもらいました。
”何者でもない自分” になるということ
僕が選んだ学校は、世界30の国と地域から130人の生徒が集まり、半年間共同生活をしながら国際的な感覚を培っていく。
僕はたくさんの意気込みを持ち、一度もブレることなく、入学の日を迎えた。
誰も知らない、初めて訪れる、北欧のデンマークへ。。。。
入学してすぐ、思った。
理由は単純に、言語であった。
学校は共通言語が英語で、授業はもちろん英語で行われる。
語学学校ではないので、ある程度の語学力が無いと行けないことは知っていたが、予想をはるかに超えていた。
まさか、ここまでコミュニケーションが取れないとは。。。。
数百人の前で話をしたり、いろんな人のお困りや相談を聞く。
そんなコミュニケーションを生業にしてきた自分が、それが出来ない・・・・
もちろん、0からのコミュニティ形成は久しぶりで、苦戦した。
そういう感覚にさいなまれ、部屋に引きこもりがちになったり、朝を迎えるのが憂鬱になった時もあった。
こんな自分は正直、大人になってから初めてだった。
留学記は、詳しくはこちらで。
”クルーズディレクター”として船を出すということ
苦しい留学を支えてくれたのは、他でもない。
これまで繋がってくれた仲間と、経験
だった。
いろんな人に連絡を取り、言語力のアップに関することや、友達の作り方まで、いろんな相談にのってもらった。
そして奇跡の、担任の先生がピースボートを知っていて、いろんなチャレンジを与えてくれた。
言語力に自信がない中
いや、してみたい。
ということで、旅やピースボート事、そしてアジアの事をプレゼンする時間を、授業の中で作ってもらった。
もちろんつたない英語だし、カンペも見る(堂々と)。
それでも続けた。
なぜ出来たのかは間違いなく
毎回緊張したし、直前にやっぱりやりたくない…と思っていたが、いろんな生徒が興味を持ち、話を聞いてくれるのがうれしくて続ける事が出来たのだと思う。
そう実感した。
そしてピースボートの話は、誰もがわかりやすい反応をしてくれた。
と。
1000人以上と世界を回りながら平和活動をする
これは、世界中の誰もが興味をそそる仕事なのだ。
そう自覚したし、誇りに思った。
様々な機会をもらう中で、気づいたことがあった。
まずは、自分の心が落ち着かないといけないのだ。そして表現の方法は言葉だけでは無く、音楽や絵、ダンスや文字、いろんな方法があって、そのどれにも優劣を付けてはならない。
そんな空間を、デンマークの学校は作っていた。
なので僕は
安心できる空間を、何よりも一番に作らなければならない
多様性は既に溢れていて、あとはそれに気づく、触れる、受け入れる空間を作る。
それだけで良いんだと。
これまた、シンプルだが難しい。。。。
待ちに待った、再開と再会の日
半年間の留学を経て、日本に帰国。
少し経って、2023年4月から世界一周が再開することが決まった。
学校での気づきを、今度は実践する時だ。
そう、ワクワクしていた
3年間待ち望んだ方に、再開をお伝えるする機会があった。
決して全員が、手放しに喜んだ訳ではない。
楽しめるのだろうか。
久しぶりの海外への不安。
いろんな葛藤の中、日々を過ごしている様だった。
僕に出来ることは今回も限られており、一人一人の不安を聞き、出来る限りの情報を伝えてサポートすること。
刻々と追加されたり、変わる情報を出来る限り混乱しなくて済むよう、必要なタイミングで必要な量をお届けする。
これはいろんなスタッフと、いろんな視点から協議して進めた。
4月7日、ついに世界一周の船旅が出航する日
どんな人が、どんな表情で乗船してくるのか。
ドキドキする気持ちを抑え、皆さんを迎えた。
数年ぶりに再会した人たち。
この日を待ちわび、お互いを称えあう姿に。
そして予想を超える笑顔に、スッと力が抜けた。
たくさんの人が、念願の世界一周を楽しみにしておられるのだ。
そんな期待に応えられる様、今まで通り出来ることを続けること。
最後に
冒頭でも書いた通り、僕は8月出航のクルーズに、”クルーズディレクター”として乗船する。
なんと、ピースボート史上最多の人数が乗船する予定だ。
たくさんの人が持ってくる、夢や期待を、良い意味で裏切れる(超えられる)様、ギリギリまで準備する。
人数が増えるということは、より多様な空間になることを意味する。
僕がコロナ禍で向き合ってきた
相手を否定せず、話をしてみる。
チャレンジしたい人がいれば、全力でサポートする。そして、ピースボートで世界一周する価値を伝える。
それは、人と人との出会いや、訪れる寄港地の文化や歴史的背景も知ってもらうこと。
そのことを、クルーズディレクターという立場を使って、実践してみようと思う。
自らチャレンジすることが、誰かのチャレンジに繋がると信じて。